五法修行
- yukarinokai2023
- 2023年12月8日
- 読了時間: 8分
更新日:3月13日
五法修行とは
因果は解けているか、供養は届いているか。
1人1人神様に確認できるのが五法修行です。
五法修行とは神の指示をもらうことであり、己の魂を磨く作法で神様の領域、聖地の中でさせて頂くものです。五法修行では神様が選んだ御霊と交信ができ、手の上げ下げで回答をいただきます。
ただし「このことを知りたい、動くようになりたい」は我が事です。神様は利己には一切手を貸せない、利他には手を出せるのが見えない世界のルールです。
自分が聞きたいことを聞くことは五法修行ではなく、己の魂を磨くことです。
ありがとう、皆がよくなるようにという思いがあれば、五法修行は取れるのです。
低級霊が来て嘘を言うときもあるので、修行者の魂のレベルを上げる必要があります。
目的:人格完成への道すがら
ご神前に正座、瞑想することによって深く自己の本体を自覚するとともに心霊、祖霊などの諸霊に通じ、幽顕(ゆうげん)の世界の実相を体得しつつ、自己をみつめ、自魂(じこん)を浄化し、意思力を強化しながら人格の官成を目指す修業をいいます。
「修行」自己の身を修める行をいいます。神社に行く等
「修業」業(ごう)を修めるという意味をもちます。
業とは人間善悪の行い(行為)をいいます。業を修めるということは、悪を止め、悪い習慣
を正して善い行いに向かうということです。
知らず知らずのうちに悪い行いをしてしまうことがあります。それは自分自身が白紙のような心で、善行にはげむというものではなく、すでに持っている色に染められた心をもとにして行動をするために、その染められた色にどうしても偏ってしまう性向があるからです。
つまり、集積の結果自分という心が生まれているということです。合わせて父母を通して先祖、遠くは大祖元からの幾代もの先祖が行ってきたこと(業)が遺伝という形で、私達の心の奥に秘められているということです。先祖以来の結果が私に宿されているということです。
ですから私達は自由に何でも考え、想いそそして行動できるように思っておりますが、自分の意思ではどうにもならない、すでに決定されて(定められて)生まれてきている部分も多くあるのです。
御五法修業による霊動は潜在化されていた意識に先祖の霊との波長が合って、修行者の身体や口を借りて表にあらわれます。それが霊動というものです。形が敵味方の争いと言う形で、霊の激しい怒りと悔しさが表現されますが、教えの理を通して訓練し、霊の安霊する真心からの天茶供養によって、霊を慰め、人の道をさとすことで修行者が安心の心にも戻ります。過去に積まれた悪行を、もう一度意識の世界に呼びもどして、そえを解き脱して、正しく改めて心の底におくるということは、御五法修業にしてはじめて可能な偉大な宿業の解消方法なのです。
御五法によって導きだされる霊魂は、すべてが先祖から受け継がれたもので潜在意識下に宿されているというものではありません。生きる実体としての霊魂は意識するとしないとにかかわりなく、常に存在していますので、時に触れることもありますし、霊能の強い人なら自由に見うことができます。
尊い法が、人々に尊ばれるか否かは、法を用いる人のありかたにかかります。私たちはこのことに余程の注意をはらい、常に人格完成に向かっている修業であるかどうかを反省しながら修業をすすめることが大切です。
仲介者の心得
神と人との関係に対し正しい仲介をするのですから、自分を戒めることが厳格でなければなりません。
責任観 もしも自分の仲介が間違っていたら、命をめしあげられても差しさえないと、 いつもその覚悟で修業に向かうこと。
責任逃れのような言動や態度をとってはならない。
霊は常に救いを求めているのだから、その時によっては昼夜を問わず修業することも覚 悟もひつようです。
霊に頼られて病状になるというのは、自分自身が神力の加持を受けていないためである。それゆえ修業に臨(のぞ)んでは、一心に神仏の加持を念じてから始める。加持とは神仏の法力の加護を受けこれを自信が堅持することである。
修行中の注意
御修業に出た霊に対しては、詳細に渉って尋ねること。
何故おさがりになったのかという目的の確認が大切です。すぐに「何代前、名前。場所、その事情」などに移る傾向があるますが、こうしたおとよりも、霊が下がられた訳を尋ねることが先決です。時には何代前で誰なのかを訪ねることがあったとしても、このようなことに時間を割くのではなく肝心の目的がはっきりしないような修業にならないように注意することです。
特に生霊死霊その他怨念(おんねん)を持っている霊に対しては、それを自覚せしめてから供養すること。
お詫びの依頼があった場合、仲介者の方から形式的に三週間、あるいは二週間とさだめないことです。
動物霊にたいしても、その殺傷などについてすぐ神の眷属(けんぞく)を考えず殺された動物の自覚を求めてから供養すること。
その他の注意
日数の多少にあるのではなく、心の底からの「ざんげ」または「徳罪」が大切であることをよく訓練することが最も大切です。
御五法によって下がられた霊は生前の業(ごう)をそのまま持っておりますから、生前虚言(きょげん)が多く自分を誇示(こじ)する性格の人ですと、修業においておも虚言を使ったり、自分を誇大(こだい)に見せようと尊大(そんだい)な言動で下がられます。それは生前の生き方が間違った霊は間違ったまま下がられる姿ですから正しいわけです。不浄化霊は不浄化のまま現れるという意味では正しいわけです。
そこで間違った霊に対して、非常識な要求や言動である時は間違いである事を教えるに照らして訓解(くんどく)することが仲介者の役目になります。神と偽って下がられたり、守護神であるといっても、その言動が粗野である場合は、その事実を話し、気付かせること がなければ教えによって霊の理解せしめることにはなりません。ただ恐れかしこまってい るだけでは仲介者としての役目を果たせません。そのような霊が下がられることは、修行 者の自覚のあるなしにかかわらず、同じ業が宿されていることをよく諭(さと)して、自己を改める学びと受け取らせるような訓練が必要です。
霊動と指示関係
①神関係の御霊様上に、②祖先関係の御霊様前に、③生霊関係御霊様胸に、④その他関係御霊様下に
①神関係上 → 御守護神の御霊様上(氏神様・・・)
A.先祖関係なら上 →(1)下がられた目的→御礼なら上・依頼なら前・注意なら額
→ (2)御礼・お給仕・心願解消・お詫びが届いているか上・下
→ (3)生活指導
B.凡体関係なら前 → 先祖関係と同じに
C.その他の関係なら下 → 土地関係か、無縁となっているか、
その他先祖関係と同じに
②先祖関係前 →(1)目的(御礼上、依頼か前、ご注意か額、あるいはお知らせか
(2)天茶の供養をうけているかどうかを上・下で
(3)心願解消・お詫びを受けているかを上・下で
(4)大体神関係と同じ生活指導
③生霊関係胸 →(1)目的
(2)お苦しみの御霊ですか→どうしてお苦しいのですか
(3)生活指導
④その他の関係下 →(1)目的
(2)先祖関係ですか
(3)その他の関係ですか→土地関係・他人の関係・動物関係・家畜関係
(4)生活指導
その他
祀られているか → 祀られて満足・不満
日々の挨拶・御礼 → ご注意はないか
お給仕がされているか
挨拶・御礼・お給仕無し → 不敬・不遜・不徳のお詫び
家族そろっての御礼
事後の指示
無縁か → 欲の祀り・感謝・御礼なし
御利益心多い・神の考えに誤り
人や物を尊ばす
忘恩の心あり
心願未解消
五智如来
五智如来様とは、全ての如来を治めているの如来の頂点(利他の頂点)の存在で、本来は神様の位置です。
大日如来(だいにちにょらい)、阿閦如来(あしゅくにょらい)、宝生如来(ほうしょうにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、釈迦如来(しゃかにょらい)の五体の如来の総称であり、五智如来様です。
大祖元の先祖まで見ているのが如来様であり、観音様より更に親のような存在です。魂を綺麗にしてくれる洗浄力があります。「五智如来様、この時代に命を授けてくれて、見えない世界に出会わせてくれてありがとうございます。」の気持ちを持つことが大切です。
※一般的にいう閻魔様とは如来様です。本人の生き方を見て天国に行きなさい地獄に行きなさいではなく、代々の先祖を見てもう少しここにいなさいと判断しています。
物質としての五法
氏神様と交信できる許可証のようなものです。一つ作るのに北アルプスなどに登山し10日間もかかる、大変有り難く貴重なものです。
見えない世界のものを授けてもらっているから、本来は五法なくても霊道はとれます。手が熱くなったり、いろいろ感じることができるはずです。
迷ったときは
例えば家族が病気になってしまった。五法修行で「ただの体の不調ですか、何かのお知らせですか」と聞くことは神の指示をもらうことだから、指示どおりに動けばいい方向にいくはずなのです。
迷ったら氏神様に行ったり、神棚で五法とってもいいのです。悔しかったり色んな思いの時にすみませんこういう思いを抱いてしまった、元のすっきりした思いに戻れますか?と五法修行をとってもいいのです。1日の汚れを洗い流してもらいたいと伝えてもいい。それが1日をしっかり生きる原動力になります。
ただし御礼を必ず言いましょう。
補足
五法を取る時は前もって何を聞きたいか、どう聞くか(上・前・下の選択肢)書き留めておきましょう。
胸のところに霊道管がありますが、使わないでいると錆びて詰まってしまいます。五法修行するには日々心のお清めをして、霊道管を綺麗にしておく必要があります。
低級霊が来て嘘を言うときもあるので、修行者の魂のレベルを上げる必要があります。
神聖な儀式なので、始まる前は口をすすぎ、手を洗います。