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実践08_おまけ

ミホちゃん博士の会話  (おまけ)


博士

正しい道は必ず世を益するものである。人生は短い。

益のないことを学んでいるヒマはないのじゃ。

だから、自分のためにも、他人のためにもならないことはしてはいけない。

青春は二度と戻ってこない。今日という日はもう帰ってこないのじゃ。

光陰矢のごとし。人生は無常なのじゃ。

だから、無益の事はしてはいけないのじゃ!!



ミホちゃん

博士、いきなりどうしたんですか?

今日は、何か変ですよ!!



博士

何万冊もの教義経典を読んで宗教の研究したり、 山にこもって座禅修行をしたりすること自体が大事なのではない。

研究や修業を通じて、 宇宙大自然という枠のない広々とした生命世界に目覚めることが大切なのである。

人々を救い、世の中のためになる生き方をしなければならない。



ミホちゃん

博士、話聞いていますか?

もしもし?



博士

徳を積むにはな、仏教の教えの中に布施行というものがある。

布施と聞くと、お金や物を捧げること(財施)を連想していますが、それだけではないのじゃ!!

身施といって、身体を使って人を助ける布施や、心施、 顔施といった人に思いやりの心を持ち、笑顔で話しかけることも伏せの一つじゃ!!



ミホちゃん

博士、本当に大丈夫?

熱でもあるんじゃないの?



博士

人間はな、徳積みをしていく中で人格のレベルが上がり、 知らず知らずのうちに神仏からの相応しい恵みが与えられるのじゃ。

まずは、自ら実践体得じゃな。

そこで、「こんな私でよろしければお遣いください」

と言う気持ちでなければダメじゃ。「やってあげた」なんて気持ちでやっているなんて言語道断じゃな。



ミホちゃん

博士・・・・・・・?



博士

そろそろ時間じゃな。

ミホちゃん、これまで学んだことを忘れるのではないぞ!!



ミホちゃん

博士、なにお別れみたいなこと言ってるの?

冗談はやめてよ!!



博士

・・・・・・・・・・・・・・。


博士


ミホちゃん

まぶしい。

博士、博士どこですか?



如来

これから、時代を引っ張っていくのは、お前ら若者じゃ。

よき国を作りあげることを祈っておるぞ。



ミホちゃん

・・・っ如来様ぁ!!


博士が如来様だったなんて・・・・・。



如来

さらばじゃ。

決して、調和と利他の心を忘れるじゃないぞ!!



ミホちゃん

如来様、直接の教えありがとうございました。


ミキも立派な大人になれるよう頑張っていきます。



詳しくはこちら

● つい、20~30年前まで、私たちは日常の中で、 おじいさんやおばあさんから次のような言葉を聞かされていたことを思いだします。


「そんなことをするとバチ当たるぞ」

「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるぞ」

「ご飯を粗末にすると目だつぶれるぞ」

「お前がそんなことををするなんて、ご先祖様に対して申し訳が立たない」などなど。


このような言葉は、ご先祖様たちの心性や、その時代の背景を表しています。


このような日本人の素朴な信仰と生活のありようは、しかしながら、 明治政府による神仏分離令によって断絶させられ、 さらに戦後日本の政教分離政策によって解体し尽くされつつあります。

ここに現代の日本人の心の荒廃・論理性の崩壊をもたらした根源といえます。


如来様の教えの中に、日本人古来の素朴で穏やかな信仰と生活のあり、 人間の幸福と平和共存の原理を見出され、その精神性を現代人の日常生活のなかに甦らせたいと 書いてありました。それが、人間の道だと・・・・・。

現代人は、もうこんな事まで忘れてしまったのではないでしょうか?


● 得を積むということの実践的な例として、仏教の教えの中にお布施というものがあります。

何かお金や物を捧げること(財施)を連想してしまいがちですが、それだけではありません。

身施といって、身体を使って人を助けたり、心施、顔施といった人に思いやりの心を持ち、

笑顔で話しかけることもお布施の一つなのです。


学びを深めそれを伝えて人身経済をやる事は、特に素晴らしい徳積みとなります。

しかし、そのとき「やってあげた」と思ってはいけません。

もちろん、周りの評価を上げるためにやってはいけません。

想像して見て下さい。

思うような反応が得られなければ あなたはどう思いますか?


それでは、自分の人格を下げるようなものです。

考え方としては、「このような私でよければお使い下さい」という感謝報恩の心です。

いつも、謙虚な心で喜んでさせてもらうことが大切なのです。

そして、周りの人があなたの真似をし、互いに尽くし合えば環境も変わっていくことでしょう。


● 何万冊もの教育経典を読んで宗教の研究をしたり、 山にこもって座禅修行をしたりすること自体が大事なのではないのだ。

人々を救い、世の中のためになる生き方をするべきなのである。

人生は短い、どんなに立派な教えであっても、それが世のため人のために役立たないものであれば、 そんな物は捨ててしまってよいのだ。

役立つことは、どんどん取り入れて世のため、人のためにお使い頂くことだ。

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