観音様の耳を習得すると何が解るか。
何を聞いても我が思いが壊れない耳です。
思いで身体の体調の方向が決まります。
例えば、止まらなく黒丸の言葉を発している時、我が耳で聞くといつの間にかいやな気分になったり、一緒に悪口を言い出したりしませんか?それは引き込まれているのです。
ところが観音様の耳を習得すると悪口を聞くと、白丸以外シャットアウトされます。
その者の位置が解りやすくなります。そしてその相手を喜ばせる言葉を使えるのです。
例えば、「あいつは馬鹿だ」と言っている者がいるとして、
「そうそうその通りですね。だからその低き者より下にいるから頭に来ているのですね。ならば相手を思うことの言葉を使いましょう」
それこそが神様の口です。
例えば、叱られて逆上している者がいるとします。どうしようと、びっくりしますか?
それは我が目線です。
相手の思いを優先できれば「大変だったでしょう、修行の時間ご苦労様でした」と言えるのです。
我が身が出てしまう時は、6秒待ちなさい。
いつも相手を想う実践です。
我が目線だからこそ、思いの意味が、重いになってしまっているのです。
軽くしなさい。修行の身なのですから。
親が思う言葉を、生きている時間に思いやりを身に着けなさい。いつもありがとうと。
何も無駄は無いのだから。
観音様ならどんな耳?神様ならどんな口?
行で一杯聴いてきましたね。
「いつも一緒だと」
忘れること無く進みなさい。
「良いかいつも 一緒ぞ」
それは命を頂いているのも、神さまからの思いだからです。
全員が真理でものを言えるようにしましょう。
神様観音様と共に、一日を生ききる
相手を大切に思い、我が身でできる限りを尽くす。
学びとは、先祖、観音様、氏神様から見える世界で何が出来るかです。
毎日の中に行ってきます。と共に行で言われた通り、神様観音様は、いつも一緒です。
家に帰り「ただいま」と神と観音様と戻れるのです。
毎日奇跡を頂いて一日を過ごしてます。
大切に身体の手入をして下さいね。そして我が魂の手入れもね。
魂の手入れは、思いをさず睡眠を取り霊界にて、その日の疲れを取ることです。
観音様のテクニック
昔、あるところに庄屋がいました。庄屋の子が亡くなりました。この子を生き返らせたい、庄屋は観音様にお願いをしました。観音様は言いました。
「子供が亡くなっていない家から、唐辛子をもらってきなさい。そしたら生き返らせてあげましょう」と。
庄屋は地域の家を周り、子供が亡くなっていない家から唐辛子をもらおうと探し回りました。
ところが、子供が亡くなっていない家などなかったのです。
地域の人々がそれほどのことになっていると、初めて気づいたのです。
この事に気づいた庄屋は、地域のために精を出し、地域のために頑張るようになったのです。